|
●●ブログへ移行●●
2月17日(金)
随分長い間ほったらかしになっていましたこの徒然記・・・・ブログっていう便利な物ができてしまった今、そちらへ機能を移管せざるを得ない状況をご理解ください。今後は(というか2005年5月以降は)こちらをご覧ください。長い間「ジャンベ徒然記」をご覧頂きまして誠にありがとうございました。
●●出会い・完結●●
5月2日(月)
Aくんから借りた音源の主「マンデンフォリ」と「東京ナンガデフ」を見に六本木イズントイットへ行きました。丁度その前にシディキを呼んで日本で初ワークをやったオーガナイザー岩原大輔さんがナンガデフに加入したのもあって、そりゃぁワクワクしながら。
サンバンを叩きながら奈良さんが登場。S原くんから聞いていたジェンベマスター奈良さん、「あれジェンベじゃないの?」そうです、当時私はジェンベ叩く人とドゥンドゥン叩く人は別だと思っていたのです。そしてどわーっと威圧感溢れる顔の橋本さん、サンバイザーかぶった二枚目マッチョのレオさん、細身で長髪のシゲさんと岩原さんが登場。それぞれ物凄く個性的で、とてもアフリカンやる人に見えない。奈良さんなんて白タンクトップにビンテージジーンズ&ブーツ&例の帽子だし。叩き始めました。びっくり。当時のナンガデフってグワーって感じでしたね。それがとても新鮮だった。全部速かったし(笑)クラブっぽくもありました。ダンスもユキちゃんの躍動感が際立ってたし。全部が印象的だったけど、中でもシゲさんの小柄なのに凄い音量のソロと奈良さんの存在感が特筆してました。「あーあのエッセンスを教わりたい」とその場で奈良さんのクラスに行こう!と決めました。
ナンガデフの次がマンデンフォリ。マムドゥは前に公園で一緒に叩かしてもらったことがあったので知ってましたが他の人は知らなかった。当時のマンデンフォリはマムドゥ・タエコさん・カラモコ・大儀見さん・外山さん・そして武田さんだったかな。その日は「在日アフリカンオールスター」という感じのライブで、いろんなアフリカンが飛び入りでガンガンソロ叩いてたけど、正直食傷気味でした。そんな中で光ってたのが外山さんのサンバンと武田さんのアカンパニマだった。武田さんはそん時仲間に聞いたら吉祥寺でクラスやってるというので「よっしゃー!」と思いました。
もう3年も前の話なのに、ついこの間のような気がするのは不思議。今その印象に残った奈良さんと武田さんに主に教わってる。最近行けてないけど寺崎さんにはアフリカンリズムのエッセンスを、武田さんにはジェンベの音や叩き方・テクニックを、そして奈良さんにはジェンベをいかに楽しむか?をそれぞれ違ったアプローチで教えてもらってます。
最近、自分で避けていた「グループ」を作ろうとしてます。アフリカンスタイルで魅せれる・聞かせれる本気のグループを。きっと今度はモコやユールさんに教わりたい!と思うかもしれない。だってモコなんて普通に東京にいるけど凄い人なんだよね。バレエアフリカですよ!ユールさんだって凄い。ユールさんが日本にジェンベを広めたって言っても過言じゃないからね。
決して日和ってる訳ではないんです。いままでもそうであったように「いろんな人のいろんなエッセンスを勉強したい」ってだけですから。それが上達へ遠回りだとしても。いろんな事をいろんな人が考え、いろんな絡みがある・・・・これってジェンベじゃないですか。
●●続・出会い●●
3月7日(月)
久々の更新です。
ジェンベをライブで叩いていたとはいえ、基本的なことは何も分からないでドンバカスカ叩いていたので「よし!ここは基本から学ぼう!」と思い、ホームページで検索。身近な高井戸で寺崎さんがクラスをやっていたので参加してみました。高井戸クラスではじめて会った寺崎さんの印象は「浮ついたところのない重鎮」という感じ。日本人で古くからジェンベを叩いている重みを感じました。そしてそこには見たこともないへんてこな大太鼓(ドゥンドゥンセット)があって。。。参加している生徒もいろんな人がいて(ヨレヨレTシャツを着たAくん・オーバーオールを着た妙にデカイKさん・・・笑)。音の基本にベース・トン・スラップがあるなんて知らなかった!寺崎さんの叩くジェンベの音の力強さったらびっくり。そしてそん時教えてもらったリズムがシンテとマクルー。どちらもノリのいいリズムじゃぁないですか。惚れました。またドゥンドゥンとの絡みが気持ちい。更に惚れました。そして参加している生徒のなんとも気持ちよさそうな雰囲気。こりゃーもう大変じゃぁ〜。そんなこんなで高井戸クラスの他、江東クラスも仕事サボって行きました。そこではユキさんがダンスクラスをやっていて、またダンスの後ろで叩くことの良さったら、びっくり。こりゃぁクラス以外でもやるっきゃないね!ってことで地元田無で施設を予約して無料で叩く機会を沢山作ろう!ってことで「西東京タイコ同好会」を始めました。クラスに行くのはちょっと・・・という人や、とりあえず叩いてみたいという人に「機会提供」の意味で。寺崎クラスで出会ったAくんやジャンボKさん、Sちゃん、Wキー、そして小金井公園を通して出会ったSくん、、、しかし困ったことに言いだしっぺだったこともあり初めて叩く人に「教える」役目になんとなくなってしまいました。そん時の私っていえばへなちょこですよ(今もね)。一生懸命練習しました。
その当時の我が家は次男が生まれて2週間で死にそうになって入院したりしてた時期。カミさん逆上。自分も出来る限り子供たちと一緒にいてあげたい、でもタイコが楽しい・仲間と叩きたい・・・・そんで思ったんです。世の中には僕と同じような境遇になったときに「いろんなものを諦める」人が大勢いると。そこを諦めないでも自分のペースで日々の生活の中に音楽を取り入れることが出来る環境・・・ジェンベって最適だと思ったんです。そりゃ厳密に言えばもっとシビアなものでしょう。グループになるとそれは如実に現れる。でも人それぞれのジェンベとの付き合い方があっていいんじゃないか。。。全てを捨てないと出来ない音楽は「音楽」とは言えないんじゃないか・・・。だから出来る限りいろんな環境にいる人がジェンベと触れる機会を沢山作りたい・・・そんな思いでした。練習会・地域イベント参加、そして出来るだけ安く上質なジェンベを提供したいということで販売を前提にした「楽屋」になっていきました。
前述の小金井公園を通して知り合ったSくんは西麻布の奈良大介さんクラスに通っていて「奈良さんいいですよ〜」といつも言っていました。そしてA君が六本木イズントイットで行われたライブのテープを貸してくれて、そこには上手な日本語を話すギニア人が唄を唄う「マンデンフォリ」とクールな疾走感溢れる「東京ナンガデフ」の音源が。そのテープが私をまた「深み」にハマらせることになったんです。(続く)
●●出会い●●
11月3日(水)
私とジャンベの出会いは今から10年前、当時ヤマザキヤマトと組んでいた「土音(ドロン)」というグループのリハのときにヤマザキヤマトが持ってきたジャンベを見たのが最初。すぐにバンドアンサンブルにジャンベを取り入れるためにコマキ楽器にジャンベを買いに行きました。当時アフリカンスタイルのロープチューンジャンベが棚に飾られていて、価格を見るとびっくり!10万円!!こりゃぁ買えんと思い、マイネルのレンチチューンジャンベを買いました。バンドアンサンブルではトラディショナルなんて知らなくって、もちろんママディケイタの存在も知りません。ただひたすらベースとスラップを叩きまくってました。程無くしてグループは解散、ヤマザキヤマトはソロで活動を始めました。私はと言えば結婚、すぐに長男出産。2年ほど音楽と離れて暮らしてました。が、出会ってしまった。国内楽器メーカーと仕事で絡んでいたとき「ねえ佐々木さん、ジャンベを販売しようと思ってるんだけど、佐々木さんジャンベやってたよね。いろいろアドバイスしてよ」との依頼。そのあたりからのめり込み、いよいよヤマトの自宅でママディのジャンベフォラを見てしまったんです。のめり込んだのは私だけではなく、当時1歳だった長男がヤマト宅にあったジャンベに壮絶な興味を持ち、ママディのビデオに食い入るように見てました。おまけにヤマトが気を利かせて長男の2歳の誕生日プレゼントにママディ教則ビデオをプレゼントしてくれちゃったもんだから、こりゃ一大事。佐々木家は次男を身ごもっていた家内の意思は抜きで急速にアフリカンへの道に突き進んで行くのでした。(続く)
●●ジャンベホラ●●
10月13日(水)
「ジャンベフォラ」を久々に見ました。1991年製作ということは13年前。ママディさんまだ若いです。そしてファマドゥさんも若いです。ファマドゥさんが現地で開いているワークショップ(?)のシーンは皆さん印象深いと思いますが、あの3歳くらいの男の子は凄い。シグナル出してましたね。そしてママディが教えたスヌのアカンパニマもスグ叩きましたね。今は16歳くらいでしょうか。そのシーンでファマドゥさんが「ケレ・フィラ・サバ・ナニ」とカウントを出していますね。あれをウチのガキが毎日真似してます。あ、あとママディがソロをバリバリ叩いているときに鼻をつまむ仕草をしますが、あれも。「そんなことばっかり覚えたって上手くならんぞ!」とは言ってみるものの、血ですかね。まあ、おかげで毎日ジャンベフォラが見れるんで嬉しいですけど。
●●雨にて想ふ●●
10月9日(土)
秋の冷たい雨・・・嫌ですな。自分の中の「秋雨」のイメージはシトシトって感じだったんですけど、ドバドバ降りますよね今年は。別に異常気象だのって事はどうでもいいんですけど四季の「情緒」がなくなっちゃうのは嫌だな。雨には思い入れがあって、自分が生まれ育った家はバラックの平屋でした。当時練馬区にもそんな朽ち果てそうな家がまだ沢山あって、小学校のとき自分の家を知られるのが子供ながらに少し恥ずかしかったのを記憶してます。でも、振り返ると「四季を感じれる家」でしたよ。お風呂が外にあってトタンの波板で四方が囲われてたんです
けど、風呂に入って「はぁー」となってるときに雨が降り出すとポツ・ポツポツ・・・からドバーーーに音が変化していくんです。もう轟音!で、家の中に入る為に小降りになるタイミングを計っているうちにのぼせてしまったり。にわか雨が上がって急に晴れ間が出たりするとトタン屋根の隙間からサンサンと日差しが差し込んで、湯気を照らすんです。そういった風景を今現代日本の住宅事情で感じられるか?って無理ですよね。
マリ帰りのA君K君のお帰りなさい会を吉祥寺でやったとき出てきたツマミをみて二人が揃って「何品もあるよ〜」と言ったのを思い出して、まだアフリカには自分が子供のときに体験した「自然を感じる瞬間」が沢山あるんだろうな・と思いました。
●●増量●●
9月22日(水)
10代後半の頃、ガンガンにウェートトレーニングをしていた時期がありました。当時まだ少年の面影が残る体型で、いっくら鍛えてもムエタイ選手のようになるだけでマッチョにならなかったので「太るプロテイン」を飲みまくり鍛えてました。しかしある人から「沢山食って沢山寝ないと太れないよ」と言われ、当時昼仕事して夜学校行って夜中水商売していたためそんな暮らしが出来ず断念したものです。
で、最近「打力」を付けようと思い立ったのと、めっきり秋めいて来たので「沢山食う」を実践しました。「沢山寝る」は無理なので、その分食いました。朝どんぶりめし、昼はランチ大盛り+ピザ+ドリンクバーでコーラ3杯、おやつはコンビニ甘い菓子パン、夕食は豚丼大盛り、帰宅後どんぶり飯&晩酌・・・・基本はこんなコースで日によってはドライブスルーマックバリューセットが絡んできます。その上でトレーニング!と思いきやなかなか時間と気力がなく、、、、はい、ついに1ヶ月で5kg増量とあいなりました。打力をつけるどころか腹の肉が邪魔で叩きづらい!!!増量中止です。
そんなことより毎日1時間でも叩く習慣をつければ小細工ナシで打力をつけられますよね。反省。
●●日記●●
8月26日(木)
あれから、そう九州ジェンベ旅行から我が家はとにかくお祭り騒ぎなのである。朝からセセ付きジャンベを兄弟で取り合い、叩きまくる。訳のわからん言葉でママディのマネをする。とにかく九州での2日間体験した「音楽」は子供達の心に深く刻まれたのである。
思えばとても強引な家族旅行でした。書ききれないくらいいろんな事・人との出会いがあったので箇条書きにします。
◆八王子インターから九州上陸まで9時間で行ったこと。
◆久留米は「一味」のラーメンがやっぱり美味しかったこと。
◆佐賀は鹿島のホテルが安くて良かったこと。
◆久留米daiさん・ミヨさん、チエちゃん、きのたんと再会できたこと。一緒に叩けたこと。
◆ナジェの演奏が素晴らしかったこと。カトウくん、たぐっちゃんが素晴らしくいいヤツだったこと。
◆ナジェは「狼のおにいちゃん達」ガク(長男)談
◆ナジェひがきさんのモリバヤッサ唄が大阪弁だったこと(笑)
◆ムツゴロウを地元の人は何とも思ってなかったこと。
◆佐賀・熊本間がかなり距離があったこと。
◆ワサワサ周辺で道に迷ったこと。
◆大さんとジェンベ談義できたこと。
◆ランチ時ママディ&セワカンが一緒だったこと。
◆鹿児島ガリさん・京都紅葉さんと話せたこと。
◆ジェンベ大国ランチが美味しかったこと。
◆馬刺しを家族全員で美味しく食べたこと。◆からし蓮根が美味しかったこと
◆ジェンベ大国第一部、すべてのチームが素晴らしかったこと。
◆自分のソロフレーズがつまらなかったこと
◆踊り損ねたこと
◆やっちん&ばびちゃんのドゥンドゥン、相当練習の痕がみれたこと
◆にしやまんと少し話せたこと
◆ママディがエキサイトしていたこと。
◆シディキのソロがかっこよかったこと
◆スレイマンが若く見えたこと
◆打ち上げがすごかったこと
◆ウメちゃんと呑めたこと
◆セセコリが強烈に面白かったこと
◆スレイマンが弾き語りをしたこと
◆夜中シディキが公衆電話で電話していたこと
◆夜中ひとりで熊本下通りを歩いたこと
◆熊本城◆熊本ラーメン
◆帰りの九州道でエンジン(タービン)が焼き付いたこと
◆フェリーが快適だったこと

●●椅子キング●●
8月7日(土)
いよいよ明後日は野外奈良道場。去年の反省として「椅子が足りなかった」がありました。椅子は出来れば持って来て下さい、というのは無謀な事。椅子なんてそうそう持ち運べないよね。という訳でディスカウントショップで手ごろな椅子を10脚ほど買いました。ところが・・・・予約が凄いです。今現在で30人を超えてる!やはり椅子が足りません(笑)いっそのこと40脚買うか!ってどうやって持って行くねん。
●●追悼●●
7月31日(土)
電車に乗れば「こう生きると人生が・・・」やら新聞見れば「上手く生きる・・・」など人生啓蒙の書籍が世間溢れてます。ということはニーズがあるわけで、いやぁ人生に迷われてる方が多いいんだなぁと実感します。
悩み・迷い・啓蒙され・触発され・洗脳され・・・ひとつの縮図ですね。
そんなことよりも誰よりも早いスピードで実践する(やってみる)ことで解決してきたヤツがいました。人生半分過ぎた時点でノホホンとしている私などから見ればそりゃ羨望の的でしたよ。才能だけでない努力。演ずることに対する姿勢。周囲への配慮・・・・すごい男でした。6歳になる長男を10年後徹底的に鍛えてくれよ!師匠として!と話してました、本気で。
実践・・・少しでも彼に近づけるよう実践してみます。
●●来る瞬間●●
7月25日(日)
たっぷりサボっちゃいました、更新。パソコンも壊れてたし・・という言い訳。。。先日子供たちが通う保育園でミニライブをやりました。時間にすれば15分程度。保育士(今は保母さんとは言わないんだよね)さんから最初依頼をもらったときは軽く考えてたんですが、いざ子供たちをどうやったら喜ばせられるか?って考えたら結構奥が深くて。しかしながら最終的には「子供たちに多くを望まない」ことが重要だなって気づきましてアフリカってこんなところ・タイコってこんなものを説明・リズム・踊り…でシンプルにしました。現役保育士のYちゃんがお歌のお姉さんが如く説明、マンジャニが始まったときは子供達目が点!バラクランジャンではソロソロとタイコにサワり出してアムロと一緒になって踊りだし…終わってもしばらくの間タイコを離しませんでした。ランランと輝く目で。
グヮーって来る瞬間をしっかり感じました。それは大人も子供も変わらない!確信しました。
●●湿度●●
6月29日(火)
そもそも「湿度」ってどういう概念なんだろう?最近蒸し暑くて寝苦しい夜が続いているが、よく「湿度80%」とかいいますよね。イメージでは大気中100立方メートルあたり80立方メートルが水分・・・おいそれじゃほとんど水の中じゃんかよ。まあそんな戯言はいいとしてタイコ部屋に除湿機を設置してるんですが、ここのところ2リットルの貯水ケースが半日で満タンになります。ということは部屋の中に2リットル分以上の水分があった・・ということ。昨年皮にカビが生えたことがあったので今年はこまめに外に出すのと除湿機を設置しました。
面白いのが紐の増し締めをすると始めて2分くらいで除湿機が作動しだす。私のカラダからでる汗の水分を察知してのことだろう。うーん、なんだか貯水ケースに溜められる水が濁って見えるのは気のせいだろうか?
●●怪我の功名●●
5月30日(日)
先日リングをキチキチにして溶接、よーしカッチリだぁ!って意気込んでジャンベにはめ込んでたとき、よそ見してハンマーでリング叩いてたら左手の人差し指を渾身のチカラで強打してしまった。しかもスラップが当たる指先・・・。妙な腫れ方をしてます。トンは別にしてベースとスラップを叩くと脳天突き破りで痛いんです。
しかーし、武田さんに「音良くなってきましたね」と言われました。事情を話したら「妙なリキミが無くなったからじゃない?」とも。確かにリキまない時の音色ってとってもいいんですよね。であればですよ、右手の指先もやっちゃいましょうか。
●●ビデオ撮影●●
4月23日(金)
もう昨年の事になるのですが「ビデオ」について考えさせられる事があったのを思い出しました。息子達が通う保育園から運動会の時に「ビデオ撮影をやめませんか?」という問題提起がありました。保育園で撮影をするので、どうかお父さんお母さんはビデオ撮影をやめないかと。ビデオ撮影をしているとどうしても我が子をファインダー越しに見るわけで、また子供がふと見る親は必ずビデオを持った親な訳です。親の声援も子供の仕草もどうしても「記録されることを意識したモノ」になってしまう。
そう言われてみると子供達もスグにビデオを見たがる。本来「過去」であるはずの事がビデオに記録されることで「過去」という概念を歪んだ形で子供達は捉えていないだろうか?
当然昔はなかった訳です。私は別に懐古主義者でも何でもないので「昔はよかった」などとのたまうつもりもない。文明の「進化」で得られるモノは拒まず享受するタイプだ。が、、、しかし、、、「過去の記憶」が映像媒体でしか反芻されなくなってるとしたら、それは「進化」ではなく「退化」だと思う。また記録媒体に残す事が主目的となった分、被写体に対しての「想いを伝える」という人間で一番大切な部分をスポイルしているのだとしたら・・・・本当に怖いことです。
と言いつつもこれからもビデオを撮るんだろうなぁ。
●●消費税●●
4月2日(金)
1日から始まった消費税含めた総額表示。昨日スーパーで買物をしたとき「ナンだか損したような感じ」がしました。今まで商品代金に5%が加わる・・という認識で、いくらが消費税かを意識していたけど総額表示になることでいくらが消費税か?がよく解からなくなっちまった。楽屋の商品は基本的には「便乗値下げ」をしたので(細かなお金を扱うのが面倒なので)ある意味関係ないけど、今の5%消費税は10%になっても気がつかないんじゃないか?と思ったら「これは消費税率UPの前施策なんじゃないか」と疑心暗鬼になりました。
ワークショップも今は2,500円とか切りのいい数字だけど、これに消費税が乗っかると2,625円!師がジャリジャリ小銭をおつり渡ししている絵はどうにもねぇ。おつりを渡される方も3,000円出して375円のおつり・・・やっぱイヤだなぁ。
●●ケンケニの気持ち●●
4月1日(木)
先日クラスでひたすらコノゥレンのケンケニをやった。2時間タンタタンを叩き通して改めて感じたこと、それは気持ち。ドゥンドゥンバの中でも要になるケンケニ、単純にウラな訳だけど「ケンケニの気持ち」にならないと全くダメだということが解かった。MDを聞いて解かったんだけどはじめのうちは「ウラ」を意識するあまり硬かったんですよ、拍が。それが途中から聞いてて心地よいタンタタンになってきた。自分で叩いていて気持ちよかったので聞いてみて改めて「ケンケニの気持ち」になることが大切だなぁと思いました。「ウラ」を意識しているうちは全然だめですね
●●九州日記●●
3月17日(水)
長文になりますが、先週行った「九州日記」ですう。
2004年3月13日(土)
前日が武田道場、ダンサをしっかりスピードアップで叩いたので就寝が夜中の3時になってしまったにもかかわらずすっきり5時に目覚めた。やはり「旅行気分」(笑)。今回の九州訪問は仕事の関係で久留米まで行く「ついで」に各地のジェンベ叩き達に会いに行く、という当初のスタートだったけど、すっかり逆で仕事がついでになってます。羽田までは意外と時間が掛かるわが街多摩。今回は羽田⇒熊本空港の往復航空券とホテル宿泊の格安チケット何と\29.900!安いよね。どんな飛行機かと思えばJASの立派な飛行機。しかもでっかいジェンベを手荷物で抱えている私をみたJASの人が気を利かせて隣の席が空いている席に移動手続きをしてくれた。うん、JASファンになった。予定より少し押して10時30分に熊本空港着、シャトルバスでJR熊本駅まで。弦太(次男)の大好きな特急つばめで一路久留米へ!この日は九州新幹線開通の日でつばめもはりきってました。驚いたことにつばめからあの雲仙普賢岳が見える!東京と房総半島よりも距離は近いらしい。大酋長いわくあの噴火した日、目前で見たそうです。
久留米へは40分くらいで到着、駅が結構閑散としてる。聞けば久留米の中核は西鉄久留米とのこと。乗せてもらったタクシーの運ちゃんが市内観光案内をしてくれた。16時まで「ついで」の仕事をやっつけて、いざ久留米のdさんへ連絡、西鉄久留米の駅バスターミナルで待ち合わせ。思えばこのバスターミナルには10年くらい前に来たことがある。久留米からバスで暫く走った吉井町へバンドでツアーライブに来たことが。久留米の駅は改装していたけどバス乗り場の雰囲気はそのときのまま。感動でした。そこでdさん夫妻と会う。dさんと奥さんの(dさんは奥さんのことを「愛妻」と言ってた。凄い!)の包容力ある笑顔が印象的。dさんの車で「月人」へ。月人はインドネシア風の酒場。マスターの月人さんも暖かく迎えてくれた。dさん夫妻と乾杯、暫くしてKたんとCゑちゃんが到着。Kたんはまだ若いが練習量ハンパじゃないジェンベ叩き。地元キノンカンというグループを組んでる。Cゑちゃんはかわいらしい女の子。でもすんごい「呑み助」とのこと。ほっとくと店中の酒を呑んでしまうらしい。それからまた暫くしてフォリカンのタカオ師が登場。タカオ師は多方面から「日本一のドゥンドゥン叩き」という話を聞いていたので嬉しかった。私が日本一と思っていたOJとは友達とのこと。共演を見てみたい。
しばし呑んでからKたんの家へ。Kたんの家は楽器店、しかもかなりでかい!そのスタジオでタカオ師のドゥンドゥンワークショップをやってくれた。サンバンケンケニドゥヌンバ混ぜて6台で、リズムはタカオ師がギニアで教わった「ソリウレン」のハマナーバージョン。こいつがごっつう気もちいい。タカオ師の飾らない・気負わない雰囲気がそのまま音に反映されている。「とんこつラーメンが食べたい」という私のワガママリクエストに名残惜しくも11時半にWS終了。皆で一路「一味」へ。夜中だというのに店内満員!食べたらそれもそのはず、美味しかった。最終の熊本行きが0時36分、皆でババーと食べて(皆さん、急がしてしまってスミマセンでした)dさんに久留米駅まで車で送ってもらった。名残惜しく、今回半日に渡って久留米を案内してくれたdさん夫妻にはここで改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
明日は熊本。終電の中で大酋長から「呑もう!」とお誘いのメールが。。。熊本についたら2時。いやぁ、眠いので残念ながら辞退しました。幸いにも終電のつばめは熊本行きだったので寝過ごすことなく熊本駅へ。ホテルでタカオWSのMDを聞きながら何とも長かった3月13日を噛みしめました。
3月14日(日)
就寝は3時だったのに7時にスキっと目覚めた。やはり気力・体力ともに充実しているときの人間って凄い。ホテルで朝食、昨日深夜2時にチェックインした迷惑な客にもココロよい対応をしてくれるホテルマンに感謝、なんだか逢う人すべてがいい人に見えてくるから不思議だ。9時にチェックアウト、大酋長も深夜帰宅だったようなので暫し熊本市内観光をしゃれこむ。まずは熊本城、しかし今改装中。うーん、残念。街中は大きなアーケードの下通りと若者が好きそうな店が密集する下通りが。ぶらぶらしてワサワサに。大酋長とアフリカン談議をしばし。そうしてるうちにMさんとワサワサスタッフBちゃんが来て、Mさんのお店「プライベートロッジ」へ昼食に。これまた素敵なカフェで、昼間っからビール&パスタで話し込む。そして熊大Djembeクラブのリーダー到着。食事後、ワサワサで叩くことに。ワサワサに戻ると新婚旅行でアフリカに行った長崎DjembeクラブのYちゃん夫妻や熊本のククアニムの人など店内で待っていてくれた。さーっと店の中が片付けられドゥンドゥンセットが用意され、はじまりはじまり〜!!!ひとしきり叩いたあと、何気なくドゥンドゥンベをサンバンで叩いたら、はじまっちゃいました、ドゥンドゥンバパーティ。踊りこそできなかったものの皆ウラの気持ちよさにはまっちゃったようです。18:30の飛行機で帰らねばならず、17時に叩き収め。酋長が空港まで車で送ってくれました。車内でアフリカンのこと・ジェンベへの取り組みのこと・日本のこれからのことなどしこたま話し、空港搭乗口にて惜別しました。
今まで体験したことのないような、とても長い2日間でした。たくさんの出会いをくれた久留米のDさん、大酋長、本当にありがとうございました。みなさんが東京にお越しの際は是非家にお越し下さい。
●●MDW購入●●
3月11日(木)
念願の録音できるMDウォークマンを買いました、ヤフーオークションで。4,600円!倍録音できない昔のタイプですが。
なぜ今になって買ったか?というとですね、あまりにも嬉しいことがあったからなんですよ。それは今週末九州へ行って久留米のdaiさん達とタイコ交流を持とう!と思って連絡したら、特別に集まって叩く機会を作ってくれる!という返事が来まして。いやぁ嬉しかったですよ。
私を含め、ずっと東京で暮らしてきた人にとっては「客人」をもてなす文化というのがイマひとつ希薄な気がするのです。なぜか?うーん、何となくですがこう思うのです。東京は色々な地域から人が集まってくる場所だったため、自分が暮らしている地域以外の文化を特段珍しく思えない、そして「特定」の文化を持っていない。何でもありそうだけど実は「何もない」。そしていつの間にか自分の暮らす東京という「地元」を誇りに思えなくなってきている。そんな気がするのです。久留米のdaiさんは「日本一のとんこつラーメンを食べましょう」とも言ってくれました。うーん、先日熊本の大酋長が遊びに来てくれた際に、一緒に食事する場所を探しに探して結局「熊本よりも食べ物が美味しいお店がない」と断念した私とは対照的です。
そんな私達東京人も、もっと東京を「地元」として意識しなくてはいけないと思ってます。「月島にはもんじゃ焼きがあるじゃないか!小金井にはあぶらそばがあるじゃないか!」いや、食べ物は端的に表しただけで、そういうことではないのです。
●●筋力強化●●
3月2日(火)
ライブでサンバンを担いで叩きながら踊って唄う・・・結構簡単に考えてたんですけど、リハ通しでやったらやっぱり右肩、特に肩から首にかけての筋肉が悲鳴を上げてしまった!サンバンって担ぐだけでも重いんですけど4拍子系の早めのヤツをガンガンハイテンポで叩いて、動いて、唄って・・・きつかったです。肩、そう上腕筋を鍛えるのはなんとなく方法わかるけどヒモが食い込む首にかけての筋肉を鍛えるにはどうしたらいいんだぁ?サンバンって一度担いだらキツくなったからといって「よいしょ!」と下ろしたらカッコ悪いじゃないですか。慣れ・・・うーん慣れるしかないのか!
●●不慣れな事へ挑戦●●
1月31日(土)
人間って歳をとってくると「習慣」で生活することが多いよね。ましてや「ラク」な方へ流れていきます。他人から叱責されたり思うようにならない事は恥ずかしいし我慢ならないので避けます。周りの人も或る程度の年齢や地位のある人には叱責することもなかなか出来ないような雰囲気が世間一般にはあると思うんです。
しかし昨日の武田さんは違ってましたね。武田さんがボギリに挑戦し始めて何年経ってるか知りません。しかしカクラバ師の前で緊張しまくったり、少年のようになっていた武田さんは凄かったです。ジェンベは鬼のように凄いし頭はキレるし(!)。そんな武田さんの凄いところ・・それを感じました。
私といえば最悪です。というのを思い知らされました。必死に練習もせずに、それを時間がないことに逃げ、ましてやアクションで誤魔化そうとばかり・・・。こんなんでは何遍生まれ変わっても進歩はしないなぁ。でも心底やっていて良かったなぁと思うんです。進歩しようとする気持ちを永遠に持てそうじゃないですか。
●●もってないもの●●
1月16日(金)
母方の祖母が危篤である。明治生まれの91歳、途方もない年月を生きてきた祖母である。母方の祖父はもう四半世紀前に他界したが、私にとって思い出深い人だ。着物の絵を描いて生計を立てていたので、遊びに行くといつも祖父は「作業部屋」で胡坐をかいて顔料の入った無数の小皿に舐めた筆を入れて、静かに絵を描いていた。大のギャンブル好き・バイク乗りという絵に描いたような職人だった。ある日わたしが一人で遊びに行って、夜もふけてきたので帰る時、なぜか祖父が私を二つ隣の駅に住む私を送ってくれた。そして駅を降りると雨が降ってきて、とっくに閉店になって閉まっていた西友の駐輪場に停めた私の自転車をずぶぬれになって出してくれて、おまけに着ていた皮ジャン(今でこそ当たり前だが当時は珍しかったはず)を私の肩にかけてくれた。あの頃祖父はどんな心境だったのだろうか?
祖母はとても頑固だ。大のビール好きの祖母がとても輝いて見えたことがある。私ももう二十歳にはなっていたかと思うが、祖母が実家に居たとき「ホタルの墓」という映画を見ていて(私はアレに非常に弱い)泣いてしまった私に祖母が終戦時のことを話してくれた。終戦時に棲家だった小石川は跡形もなくなけ野原、中村橋(練馬区)に居を移していた祖父・祖母は疎開先から戻った私の母と叔父(もう他界した)に何とか食べ物を与えようと当時の配給先であったグランドハイツ(今の光が丘)に小一時間子供二人の手を引き歩いて行った。配給先は大混乱、寸是のところで配給物資がなくなってしまった。「食べ物は?」と不思議そうに聞く子供達に「残念だったねぇ」と言うしかなかった。「その帰り道は辛かったねぇ」と笑いながら話していた祖母の笑顔がが今も鮮明に脳裏に焼きついている。ここ数年、自ら老人ホームに入っていた祖母。不謹慎な話かもしれないが、今何を思っているのだろうか?
ぶっきらぼうだが暖かかった祖父、頑固だが飄々としていた祖母・・・何か今の私に欠けている物を沢山持っていたような気がする。
●●表現の自由?●●
1月7日(水)
おかげさまで年が明け2004年になりました。掲示板にも書きましたが正月は子供達と「ひょうこま」に参加して1泊でしたが子供ら野宿初体験してきました。
その際吉田ケンゴ氏たちとセッションをやったんですが、そこで感じたことを書きます。今まで「フリースタイル」だの「トラディショナル」だのジャンベのスタイルについていろいろなウンチクを聞いてきましたが、実際「フリースタイル」と言われている吉田ケンゴ氏が生み出す「フレーズ」にとってもインスパーヤーされました。スタイルなんてどうでもいいなぁっと。つまり「一緒に叩いていて気持ちいいか悪いか」がプレーヤーとして気になる部分な訳で、その意味ではまだまだ極めているわけではないので大きなことは言えませんが「トラディショナル」といわれている・いわゆるマンディングのリズムにはある種の「制約」が存在するなぁと。プレーヤーというのは「表現者」な訳で制約を受けた上での「表現」には限界が必ず存在してしまう(我々というか私のレベルでは・・ですが)のではないでしょうか?
音楽ってとってもとっても楽しいのに、楽しめなくしてしまう方向に持って行こうとしてしまう時ってありますね。それは「型」であったり「邪念」であったり・・・・。
この件についてご意見ある方はご連絡ください。
2002-2003年バックナンバーはコチラ
|